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第02話

静かの海


『静かの海』  帝都の人々は、かつて中央広場だったその廃墟の一帯を、そして中心の巨大なクレーターを、そう呼んでいる。  リリスは息を呑み、凄まじい廃墟の光景をしばし眺めた。  ここへ足を踏み入れたのは、まだ七歳だった子供の頃以来だろうか。  十年の歳月が流れたというのに、あの日から何一つ変わっていない。  時が止まったかのように、広大な空間そのものが剥製にされ、保存されているかのようだった。  圧倒的なまでの静止が、そこにはあった。  その光景に意識を奪われていたリリスは、不意に漂ってきた嗅ぎ慣れない異臭に、ふと我に返った。  それは、本能的な嫌悪というよりは、根源的な恐怖や逃避を煽るような、どろりとした嫌な臭いだった。 (……近道を選んだのは、間違いだったかも)  後悔が頭をよぎるが、ここまで来て引き返すのも困難。  リリスは意を決し、臭いの漂う方へと足を進めた。  そして角を曲がったその先。  唐突に、凄惨な光景が彼女の目に飛び込んでくる。  そこでは、火刑が執り行われていた。  いまだ復旧の進まぬ荒廃した空き地で、何台もの火刑台が火柱を上げている。  高く組まれた薪の上、太い杭に縛り付けられた罪人たちが、足元から這い上がる炎に呑まれていく最中だった。  噴き出す黒煙と共に絶叫が響き渡る。  火の粉が舞う中で、生身の肉体は焼け崩れ、ただの物へと変わり果てている。  火刑台は五つ並んでおり、今まさに焼かれている者たちの後ろには、次を待つ罪人たちが長い列を作っていた。  ざっと数えても数十人はいるだろうか。  泣き叫ぶ者、必死に潔白を訴える者。  阿鼻叫喚の地獄絵図の中で、深い兜を被った執行人たちが、顔を隠したまま機械的に作業をこなしている。  突然のめまいに襲われ、リリスはその場に立ち尽くした。  しかし、すぐに思い直して足を動かす。  ここを通り過ぎるには、歩き続けるしかないのだ。  処刑の見物は禁止されていないため、それを制止する者は特にいない。  むしろ推奨されているとさえ聞く。  場合によっては都民を集めて公開処刑が行われ、義務的に出席させられることもあるらしい。  だから、リリスが近くを通り過ぎても、咎める者はいなかった。  周囲には、リリスのような通行人だけでなく、この惨劇を眺めるために集まったと思わしき者たちが、数人佇んでいた。  歩きながら、リリスはふと視線を火刑台の方へ送ってしまう。  既に息絶え、ただの肉塊として焼かれている死体と、一瞬だけ目が合ったような気がした。  背中に、悪寒が走る。 (早く……ここから離れないと)  彼女は歩調を速めた。  死人を見たことは何度かあるが、目の前で人が焼かれる場面に遭遇したのは初めてだった。  あまりのショックに、ここだけが別世界であるかのような、奇妙な乖離感に襲われる。  両手で鼻を覆い、最大限に臭いを遮断してみる。  早歩きはいつしか走るような速度になり、リリスは弾かれるように火刑の現場を抜け出した。
『静かの海』を抜けると、そこには、いつもの帝都の光景が再び広がっていた。  建物群を一つ越えただけで、景色が嘘のように様変わりする。  まるで、今しがた見ていた光景が全て白昼夢だったかのように。  それでも、リリスの鼻腔にはまだあの臭いがこびりついていた。  振り返ると、火刑の煙が空に向かって立ち昇っているのが見える。  そよ風に乗って届くわずかな死の残り香を感じながら、リリスは鼻を覆ったまま、クロイに指定された店へと急いだ。