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第26話

魔女の呪い


魔女という言葉に、リリスは一瞬びくりと肩をすくめた。 「魔女の呪い、ですか……」  アダムは低い声で反芻し、再び井戸を見やった。  風向きが変わるたび、鼻を突くような泥と腐敗の混ざった悪臭が漂ってくる。  アダムが問いを重ねた。 「その魔女がこの井戸に呪いをかけたという、何か具体的な根拠や証拠はあるのでしょうか。どんな魔法が使われたのか、見た者はいるのですか?」  村長は淡々と言った。 「確たる証拠などはない。ただの推測だよ。だが、 今、帝都の中は魔女への恐怖で持ちきりだ。それはこの小さな村とて例外ではない」 「魔女」という単語が村長の口から出た瞬間。  リリスの背筋を氷のような悪寒が突き抜ける。  彼女はこれまで、人前では本能的に自身の電気エネルギーを隠し通すことを習慣づけてきた。  しかし今、その制御がじわじわと崩れ始めているのを肌で感じた。  孤児院にいた頃ならいざ知らず、こうして十数人もの村人に何重にも囲まれ、一斉に視線を浴びせられ続けるような経験はリリスにはない。  これまでは少しでも危険な気配を察知すればその場から逃げ出してきた。  でも今は「村に立ち寄った旅人」という立場上、無遠慮な視線から逃れるすべがない。  何分にもわたって注がれ続けるじっとりとした視線。  それが徐々にリリスの神経を尖らせていく。  極度の水分不足で体は干からびているはずなのに、背中にはべっとりと冷や汗がにじむという矛盾した感覚に襲われる。  ——パチ、パチ  ついに、抑えきれなくなったエネルギーが一粒、また一粒と漏れ出す。  自身のポニーテールの毛先が静電気を帯びて微かに弾け始めるのを、リリスははっきりと感じ取った。 (早くここから出なきゃ……)  このまま村を出たところで、水のない絶望的な状況が待っているだけだということは分かっている。  それでも、今この瞬間の限界に近いプレッシャーと、魔女として正体が露見する恐怖に比べればずっとマシなはずだ。  とにかく、一刻も早くこの場から逃れなければ。  切迫した焦りに背中を押され、リリスは消極的な動作でそっと手を伸ばした。  そして、なおも村長に詳しい話を聞こうとしているアダムの背中に身を隠すように近寄る。  彼のTシャツの裾をきゅっと掴んで引っ張る。  微かな引きに気づいて振り向いたアダム。  彼を見上げ、リリスはひどく強張った声で短く懇願した。 「アダム……早くここを出よう」  リリスを見つめ返したアダムの瞳の奥で、微かに青い光がすっと明度を上げた。  青く光る瞳――  彼が人間ではないことの証。  それは、リリスの顔色が明らかに悪くなっている状態を読み取ろうとするかのように見えた。  その光の瞬きを至近距離で捉えたのは、リリスただ一人だけ。  わずかな間の後、アダムは真剣な面持ちで小さく頷いた。 「わかりました」  リリスの不安を和らげるように短くそう答えると、アダムは彼女を背中で庇うようにすっと立ち位置を変えた。  村長の方へと向き直る。  そして、今まで続いていた会話の空気を唐突に打ち切るように告げた。 「長々とお時間を頂戴し、申し訳ありません。村の現状についてはよく理解できました。……では我々は、これでお暇させていただきます」  村長はそもそも二人を引き留める気などない。  ため息にも似た、力ない小さな頷きを返しただけだった。  リリスは逃げるように先に足を踏み出し、アダムが静かにその後に続く。  二人は、悪臭を放つ井戸の周りにただ座り尽くしている村人たちに背を向け、足早に広場から離れようとした。  しかし、数歩も進まないうちに、背後から声が飛んできた。 「あの姉ちゃん……髪の毛が、動いてる」  それは小さな女の子の、どこまでもあどけない声だった。  だが、リリスにとっては度肝を抜かれるほど恐ろしく響く。  全身が凍りつき、ビクッと肩を跳ねさせたリリスは、たまらず声のした方へと勢いよく振り向いてしまう。  視線の先にいたのは、5歳くらいの女の子だった。  その顔に不審がる様子は一切ない。  ただ単に不思議なものを見つけたというだけの純粋な表情だった。  しかし、周囲の大人たちの顔つきは、明らかに違っていた。  彼らの落ち窪んだ瞳に、鋭い色が灯り始めている。  当惑したリリスは、慌てて自分の後頭部へと手を伸ばした。  触れてみると、確かにポニーテールの毛先がゆらゆらと自意識を持っているかのように動いている。  彼女は何気ないふりを装って手櫛を通し、髪を落ち着かせようとした。  だが、焦れば焦るほど裏目に出る。  彼女の指が触れれば触れるほど、電気を帯びた金色の髪はより一層不自然に宙を舞い、反発し合って広がっていく。  そしてついには「パチ……パチッ」という小さな放電の音が鳴る。  その音が、静まり返っていた周囲の村人たちの耳にまで届いてしまう。  異様な現象を目の当たりにした大人たちのうちのひとりが、ジリッと一歩前に出る。  そして鋭く問い詰めるような声を上げた。 「おい、あんた……その髪の毛、いったい何なんだ?」  当然のことながら、リリスは答えることができなかった。  喉が引きつり、隣のアダムへと視線をさまよわせる。  するとアダムが、リリスを背に庇うようにすっと一歩前へ出た。  彼が訝しむ村人たちへ向けて、理路整然とした声を響かせる。 「ただの静電気ですよ」 「………」  アダムは張り詰めた空気をなだめるように、穏やかな声で言葉を紡いだ。 「現在、この村の空気は異常なほど乾ききっています。そのせいです。衣服の布地や毛皮が擦れ合うと、目には見えない微小な力が生まれます。普段であれば空気中の水分へと逃げていくその力が、今の極端な乾燥のせいで行き場を失い、髪の毛に集まって互いに反発し合っているのです」  しかし、村人たちの顔色は全くほぐれない。  誰一人として納得して頷く者はなく、落ち窪んだ瞳は冷たく据わったまま、二人を射抜いている。  すると、アダムが微かに眉を下げた。  どうやら、説得力のある顔つきを作ろうとしたようだった。 「そういう人がいるじゃないですか、元々静電気がよく飛び散る体質の人が。リリス様は生まれつき、衣服の摩擦などで生じるその『乾いた火花』を体に溜め込みやすい体質をお持ちでして。現在のように極端に水気がなく、乾ききった環境下では、なおさらこうなりやすいんですよね」  アダムの説明が止むと、広場にひときわ重く、息が詰まるような沈黙が流れた。 (……ダメだわ)  リリスはマントを握る手にぐっと力を込めた。  村人たちの強張った肩の力は抜けるどころか、得体の知れないものを見るような警戒心を露わにしている。  理路整然とした必死の弁明が、かえって不自然さを際立たせてしまったのだ。 「そんな変な体質の人間、いるわけないだろうが!」  人垣の中から、頬のこけた大柄な男が一歩前に踏み出す。  そして唾を飛ばすような険しい口調で怒鳴り声を上げた。 「そもそも、こんな森の奥深くにある何もない村に、旅人などめったに来ない。定期的に往来する者でもなければな。たまに現れるよそ者なんて、道に迷ったか、何かから逃げ回っている訳ありと相場が決まっている」  別の男が横から身を乗り出し、さらに言葉をぶつける。 「だいたい、その薄汚れたなりは何だ。とてもじゃないが、まともな旅人の格好には見えないぞ!」  一人、また一人と、リリスたちへ向かって声を荒らげる者が増えていく。  ひそひそとした疑念の囁きは波のように伝播する。  やがて広場全体を覆う不穏なざわめきへと変わっていく。  この異様な騒ぎと中心にできた人だかりに気づき、あちこちから他の村人たちまでもが吸い寄せられる。  気がつけば、リリスとアダムは再び分厚い人垣に囲まれていた。  その数は、先ほどとの四五倍にまで膨れ上がっている。  向ける視線は様々だった。  底知れぬ怒りを浮かべる者、得体の知れない事象に怯える大人たち、そして何が起きているのかと無邪気な好奇心を見開く子供たち。  幾重にも交錯する視線が乱反射し、広場に混沌とした空気が渦巻く。  極度の緊張が、容赦なくリリスにのしかかる。  全身が石のように強張り、指先が震え、呼吸が浅くなる。  それに呼応するように、体内で脈打つ電気を抑えつける理性のタガが軋み始めた。 (だめ、抑えなきゃ……!)  必死に堪えようと歯を食いしばる。  だが、沸騰する力はもはやリリスの意志ではどうにもならなかった。 「っ……」  喉の奥から、呻き声が漏れる。 「リリス様!」  異変を察知したアダムが、緊迫した声を上げて身を乗り出した。  しかし、間に合わなかった。  限界を迎えたリリスが大きく息を吐き出した瞬間――  まるで堪えきれずに嘔吐するかのように。  目に見えない電気エネルギーの塊が彼女の体から爆発的に放たれた。  ――バチッ!  強い静電気の波動が空気を弾く。  その急激なエネルギーによって、リリスの髪を後ろで束ねていた紐が千切れ飛んだ。  抑えつけられていた豊かな金髪が、バサリと解き放たれる。  帯電した黄金の髪の毛。  それはまるでそれ自体が生き物であるかのように――  周囲の村人たちの目の前で、扇状にぱっと大きく広がってしまった。