放課後。 私と靂は、永遠に続きそうな下校の道を並んで歩いていた。 学校を離れながら、どこかへ散歩に出るような気分で。 「お腹、空いたね」 そう言うと、靂がこちらを見て尋ねた。 「バッテリー、あと何パーセント残ってるの?」 「もう20%しかない。靂は?」 「私は80%くらいかな」 「すごいね。さすがメイド・イン・ビーナス。丈夫なんだ」 そう言うと、靂は少し照れたように微笑んだ。 「でも20%はやばいよ。相当お腹空いてるでしょ?このままだと餓死しちゃうかも。早く何か食べて充電しないと」 「どこか、食べられるところある?」 「うーん……」靂が少し考え込む。「ここはど田舎だからね。ちゃんとした食堂は、けっこう遠くまで行かないとないかも」 「もうこれ以上歩くのはごめんだな」 私が文句っぽく言うと、靂も同じ気持ちらしく、苦笑してうなずいた。 「じゃあ、近くに――まあちゃんとした食事処ってわけじゃないけど――古びた田舎らしい駄菓子屋があるよ。そこ、行ってみる?」 「行く、行く」 私は即答した。 「駄菓子屋か。火星にはそういう店、なかったから初めてだよ」 「じゃ、行こう」 靂が言い、私たちはすぐに駄菓子屋の方へ向かった。 学校からわずか一ブロック先、裏手にあるその店には、ほとんど瞬間移動のように——いや、光速で——到着した。 建物は木造だった。だがその木目は、火星では見たことのない、不思議な模様をしていた。 それは、私のメモリチップには保存されていないはずの「懐かしさ」を呼び起こすような、そんな木目だった。 まるで卒業アルバムの片隅に、誰にも見せたことのない写真を不意に見つけてしまったような、胸の奥をかすかに掻き乱す感覚。 全体的に質素で、店というよりは庶民的な一軒家のようだった。生活の匂いがして、穏やかな形をしている。 ——なのに。 「入りたくない」 そう感じた。理由もなく、身体の奥のセンサーが拒絶信号を出している。 このまま逃げ出したいような、そんな衝動。 お腹は空いているはずなのに、ここで充電したいとは思えなかった。 本能的な警報が、私のCPUの奥を駆け巡る。 「じゃ、入ろうか」 靂の声が、風鈴のように響いた。 その音は、私のエラー寸前の思考回路を、そっと冷却していく。 金星の空気にまだ慣れていない私の中で、彼女の声だけが安定した信号として流れた。 「……うん」 結局、私は靂と手をつなぎ、そのまま駄菓子屋の中へ入った。 内部はこじんまりとしていて、古い日の木の匂いが漂っている。 私は駄菓子屋という空間を初めて体験する。 ——なのに、やはりどこか懐かしい。 まるで、操作プログラムが“懐かしさ”という感情を即興で生成しているみたいに。 棚には、色とりどりの菓子が並んでいた。 だがそのどれもが、どこかおかしい。 たとえば—— 目玉の形をしたキャンディがある。 それらは乾いたガラス玉ではなく、潤んだ生の目玉で、血管が透け、瞳孔が私たちの動きに合わせて動く。 まるで、無数の目がこちらを見ている。 隣には、人間の指の形をしたガム。 シロップのような赤い液体が指の根元にこびりつき、まるで血を模している。 触れることすらためらわれるような光沢。 ——いや、血の匂いがする。 さらに棚には、花の形をしたお菓子があった。 花弁の中心には、人間の歯や舌のようなものが混ざっている。 ピンクの砂糖衣の下から覗くその肉片が、甘い香りとともに腐臭を滲ませていた。 私は息をのんだ。 カウンターの奥には、店主がいた。 ——蛇だった。 ただし、頭は人間。 肩までの黒髪を整えた、昭和の中学生のような少女の顔。 艶やかで、整っていて、どこか現実感がないほど美しい。 胴体は巨大な蛇のそれで、カウンターの向こうで幾重にもとぐろを巻いている。 一巻きごとに、成人男性の太ももほどの太さ。 十重ほどの層を重ね、その頂上に、人間の少女の頭部がぽつんと載っていた。 「店主だよ」 靂が横から静かに言った。 その言葉は、靂がこの店の常連であることを、何より雄弁に物語っていた。 あまりにも自然で、慣れきっていて、まるでこの異様な空間にすっかり馴染んでいるようだった。 だからこそ、私は——恐ろしくなった。 この気味の悪い店の雰囲気そのものが、靂の延長のように思えてきたのだ。 私は無意識に、彼女の手を振りほどこうとした。 だが、それを察した靂の手が、ぎゅっと私の手を握り返す。 金星製ヒューマノイドの出力は、火星用の私とは比べものにならない。 逃れようとすれば、関節が砕けるだろう。 その圧力に、私はすぐに抵抗をやめた。 あきらめが静かに体内を伝い、コードの奥にまで沁みていく。 結局、私は彼女に導かれるまま、駄菓子屋の中で充電を済ませるしかないのだと思った。 「こ、こんにちは」 喉のスピーカーがかすかに震え、ノイズ混じりの声が出る。 苦笑いの表情を装いながら。 その瞬間—— カウンターの奥で眠っていた店主の顔が、ぴくりと動いた。 人間のように見えるが、どこか違う。 眠りの表情が一瞬だけ崩れ、微細な電流が走ったように、まつげが震えた。 やがてゆっくりと、その瞼が開く。 異様に長い睫毛の奥から、深い黒の瞳がこちらを見つめる。 美しすぎて、むしろ不気味なその目が、まっすぐに私を射抜いた。 そして、彼女の唇がゆっくりと開いた。 火星でも、地球でも、太陽系のどこでも聞いたことのない声。 空気を震わせ、細胞の奥を撫でるような、妖艶で完璧な音。 「ようこそ——人肉の駄菓子屋へ」