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第26話

血遊び


 声をかけてきたのは、「時計リュウ」君だった。  会うのは初めてのはずなのに、なぜかフルネームがはっきりと記憶にあるという事態に、私はひどく困惑する。  時計リュウ君は美形の男子高校生モデルだった。  彼は硫酸に濡れた前髪を、整った顔立ちを誇示するかのように後ろへとかき上げた。  その表情には、隠しようのない心配色が浮かんでいる。 「大丈夫だ」  私が淡白に、本当に問題ないことを主張すると、横から信用できないといった響きの女子高生の声が割り込んできた。 「本当?君、目玉がないんだけど」  視線を向けると、そこにいたのは「能力エミ」さんだった。  彼女もまた初対面だが、名前だけは鮮明に覚えている。  能力エミさんは、この世の森羅万象に対して無関心を貫くと決意したかのような無表情をしていた。  長い黒髪もまた、外界を拒絶する遮断カーテンのように顔を覆っている。  だが今回ばかりは、どこか興味ありげに私を観察していた。もっとも、その関心の対象は私ではなく、私の装着しているゴーグルだとすぐに分かった。 「それ、かっこいいね。貸してくれない?」  私が答えるより早く、霖が即答した。 「ダメ。これはお兄ちゃんのために私が作ったものだから」 「君が作ったの!?」  能力エミさんが霖に歩み寄る。 「すごい。私にも一つ作ってくれない?」  霖は能力エミさんをどこか訝しげにじっと見つめた後、「わかった」と短く答えた。そしてインビジブル・インベントリから、すぐにもう一つのゴーグルを取り出した。  それはカモフラージュ柄の、軍用支給品のようなデザインをしていた。私が見ればゴージャスとは言い難い無骨な代物だったが、能力エミさんの好みには合致したらしい。彼女は喜んでそれを受け取ると、早速装着した。  彼女がゴーグルをつけた瞬間、それが爆発した。  対人地雷のように派手な爆音と共に炸裂し、能力エミさんの頭部を吹き飛ばす。  頭があるはずの空間には、何もなくなっていた。  その様を見た瞬間、まるで製造前からプログラムされていたかのような単語が、私の口から自動的に出力された。 「……無頭子?」  そもそも「無頭子」というロボットが誰なのか見当もつかないが、目の前の残骸が彼女ではないことだけは、口にしてすぐにわかってきた。  このヒューマノイドは、単に頭を失った能力エミさんに過ぎない。  そしてその光景に、周囲の二人が凍りついた。  横を見れば、二卵性双生児の設定を持つ帰国子女、「ピクセル姉弟」がいた。  彼らは川で水遊びをする避暑地のPR写真でも撮るかのような、ありふれた「青春の一コマ」的なポーズで硬直していた。  霖は、そんな彼らに冷水を浴びせるように、白けきった声で言い放った。 「水遊びは、もう飽きた」  それを聞いて私は首を傾げた。  川に入ったばかりだというのに、もう飽きたとはどういうことか。 「今、入ったばかりだろう?」私は言う。「これから遊ぶんじゃなかったのか?川で水遊びをするんじゃなかったのか?」 「もちろんそうするつもりだったよ、お兄ちゃん」  霖が力説する。 「もちろんそうするつもりだった。だけどね?お兄ちゃん、だけどね?つまらないでしょ?川で水遊びなんて」  理解が追いつかない私は、丁重に聞き返した。 「何が?」 「だって、固定観念を破ることが美徳とされている、この金星でしょ?川に来たら水遊びに決まってるなんて、全然金星らしくない」 「じゃあ、一体どんな風にすれば金星らしい遊び方になるんだ?」 「それはもちろん、決まってる」 「決まってるってお前、さっき固定観念を破るとか言ったくせに……」  ぶつぶつと言い募ろうとしたお兄ちゃんである私の言葉を遮り、霖の声がシャボン玉に詰め込まれて、硫酸の川に轟いた。 「血遊び、しましょう」  シャボン玉が弾けた瞬間、中から無数のハリセンボンの針が、手榴弾の破片のように周囲へ撒き散らされた。  それは帰国子女設定の「ピクセル・ヒカリ」と「ピクセル・ヒカル」の姉弟の全身に容赦なく突き刺さった。  二体のヒューマノイドは瞬く間に針まみれになり、全身に無数の点々が刻み込まれていく。  彼らの肌は文字通り「ピクセル化」していった。  身体全体が高画素密度のディスプレイへと変質し、最終的に二人は巨大な壁掛けテレビのような家電へと成り果てた。  モニターとなった彼らの体表で、映像の再生が始まる。  それはかつて彼らが「帰国」する前に住んでいたという、アンドロメダ銀河のどこかの惑星での優雅な生活風景だった。  彼らのノスタルジアが凝縮された思い出が、硫酸川の流れの中で上映される。  画面の中の二人は、ピアノとバイオリンを奏でながら、太陽系では使われない異星の言語で仲睦まじく談笑していた。 「奇麗だ……」  画面に見入っていた時計リュウ君が呟いた。  彼は引き寄せられるように泳ぎ寄り、テレビの目前で停止した。  近すぎる。  少し距離を置いた方がいいのではないかと警告しようと近づいた矢先、彼は窓の外の景色に心を奪われたかのように、あるいは開かれた窓へ飛び込むかのように、ピクセル姉弟の思い出の画面の中へひょいとダイブしてしまった。  止める間もなく、彼の姿があっさりと二次元の向こう側へ消える。  すると、スクリーンはたちまち不吉な赤色に染まった。  白黒映画だった思い出の映像は、赤一色の色彩を帯びた。  内容も変質し、ピクセル姉弟の演奏に時計リュウ君が加わり、不協和音の三重奏を奏でる音楽番組へと変わってしまう。  映画がコンサートになってしまったので、そろそろチャンネルを変えようと私がリモコンを操作しようとした時、霖が横からリモコンを奪い取り、自分が見たいチャンネルに切り替えた。  画面に映し出されたのは、私たちがこの川で繰り広げるはずだったかもしれない「血遊び」の風景だった。  それはライブニュースの形式をとっていた。  硫酸の川の中で、私と霖、時計リュウ君、そして頭部を失ったはずの能力エミさんとピクセル姉弟が、それぞれ水鉄砲のような玩具を手にしている。  だが、そこから発射されるのは水ではない。  鮮血だ。  銃口からほとばしるドス黒い血液が、互いのボディを濡らしていく。  血を浴びた箇所は焼け爛れ、回路が露出した肉塊のようにグロテスクに膨張し、破裂してはまた再生する。  彼らは互いの内部液をぶち撒け合い、キャキャッと無邪気な悲鳴を上げながら、互いを汚し合う冒涜的な遊戯に興じていた。  続いてビーチバレーが始まる。  ボールとして使われているのは、さっきクレイモアで木っ端微塵になったはずの、能力エミさんの頭部だった。  千切れた首の断面から配線と脊髄ケーブルをぶら下げた生首が、放物線を描いて空を行き交う。  みんなはそれをレシーブし、トスし、スパイクを決めながら、真夏の爽やかで楽しいひとときを演出していた。  そして、その光景の中で最も楽しげな笑みを浮かべているのは、他ならぬボール役の――ヒューマノイドたちの手によって空中を行き来している能力エミさんの生首だった。  彼女は空中でくるくると回転しながら、この世の誰よりも幸福そうな満面の笑みを浮かべている。  その恍惚とした表情は、もはや羨ましくなるほどだった。  彼女の頭部がトスされるたび、長い黒髪が宙を舞う。  それは頭部の軌跡を描く彗星の尾のようだった。そう、太陽に近づくとガスや塵を放出し、美しい尾を引くもののように。  ちょきんと切断された彼女の頭部は、長い髪をなびかせながら空を行き交う。  私たちはその笑顔の球――能力エミという名のボール――を存分に行ったり来たりさせ、バレーボールのように打ち合った。ボールから笑みが消え失せ、血の気が引くまで、私たちは夢中で遊び続けた。  能力エミさんの顔から完全に生気が失われた頃、私はふとあることに気がついた。  いや、気づいたというより、記憶の断片が戻ってきたのだ。 「……靂(オト)」  その名を口にしてみる。  味覚センサーに苦々しい何かが反響した。  まるでカカオ分九〇%以上のダークチョコレートのような響き。  強烈な苦みの中に、確かな糖分が潜んでいる味。  ポリフェノールによる抗酸化作用やテオブロミンの覚醒効果のように、その苦みは単なる不快ではなく、脳の深層を刺激し、後味にほんのりとした背徳的な快楽を残す。  そのような超ビターで甘美な追憶が蘇る。 「靂が、いない」


「大丈夫さ。未知こそ道なんだから」




「靂(オト)がいない」  クラスメイトの中で、靂だけがいない。  私は、ちょうど私の方へ回ってきた能力エミさんの頭部を、次の誰かへトスすることなく、両手で掴んだまま、見下ろした。  彼女はもうボール扱いされることに飽き飽きし、泣き出しそうな表情を浮かべている。  私はふと、彼女の頭の中に何らかの秘密が、あるいは靂の居場所へ繋がるヒントが隠されているのではないかという、淡い希望のようなものを感じた。  じっと見つめていると、能力エミさんのボール用頭部が話しかけてきた。 「どうしたの?遊ばないの?」 「靂って、知ってる?」  私が唐突に尋ねると、能力エミさんは当たり前のように頷いた。  首から下がなく、頭部だけでどうやって「頷く」という物理動作が可能なのか。それはここが金星であり、彼女が最先端のヒューマノイド・ロボットだからこそ成し得る超常的な技巧なのだろう。 「知ってるよ」  能力エミさんはひどく疲れた声で言った。  自力で動くことなく、ただ手から手へと空中をデリバリーされていただけだとしても、「ボールに徹する」という行為は相当な消耗を強いるらしい。  彼女の顔には濃い疲労の色が滲んでいた。 「靂はね、彼女はね、生贄なの」 「生贄」という単語に、私の全神経――CPUを構成する膨大なトランジスタ群――が、一斉にパチパチと静電気を発したかのように激しく反応した。  何かの記憶が、水面下から浮上しようとしている。  だが、それを明確に言語化することができない。紙一重の距離にあるのに、メモリチップの手がギリギリ届かないもどかしさ。  私はこの焦燥を打破するために、あえてその言葉を口にしてみることにした。  脳内での演算処理というミクロな物理現象に留まらず、音声として出力し、現実世界にマクロな物理的波紋を起こすことで、閉ざされた回路をこじ開けようとしたのだ。 「生贄」  予想通り、その言葉を発した瞬間、より鮮明で明確な記憶が蘇ってきた。  だが、核心にはまだ届かない。 「でも、なぜ?なぜ彼女が生贄に選ばれてしまったんだ?」  私が問うと、能力エミさんはまるでクラス委員長のような謹厳な顔つきになり、諭すように言った。 「理由は特にないよ。運が悪かっただけ。いや、むしろ運が良かったと表現できるかもしれない」 「なぜそれを運が良かったなどと解釈できる?」  私は苛立ちを隠せずに反論した。 「生贄に選ばれるということは、不条理に殺されるということだぞ」 「不条理」  能力エミさんはその言葉を、まるでカカオ九〇%以上のダークチョコレートのように口の中で転がし、吟味する。  強烈な苦味。  だが、その奥底には確かな糖分が潜んでいる。  ポリフェノールが血管をしなやかにし、テオブロミンが脳を覚醒させるように、「不条理」という概念は単なる苦痛ではなく、ある種の知的興奮と背徳的な余韻を伴って私の思考回路に染み渡った。 「『不条理』……それはつまり、予想外という性質を孕んだ非常に魅力的な言葉だね。不条理がなければ、条理も存在し得ない。条理がなければ、そもそもこの世界は成立しない」 「何が言いたいんだ」 「つまり、生贄とはそういうものなんじゃないかな。この世界を駆動させるための、燃料だ」 「……燃料?」 「そう」  首から下がないくせに、能力エミさんは器用に頷いてみせた。 「彼女は今、生贄という電力となって、この世界を発電させているのよ」 「彼女は今、どこにいる?」  私の問いに、能力エミさんは頭部だけで肩をすくめるような表情を作ってみせた。 「逆流神社」 「なんだ、それは」 「この村の神社だよ。つまり……」  能力エミさんは視線だけで、川下で待ち構えている霖の方を指し示した。 「あの子の家ね」  私は霖へと視線を移した。  彼女は無邪気に両手を振り、「早くトスしてよ」と言わんばかりにこちらを見つめている。その姿は、兄との遊びを心待ちにする妹そのものだ。  私は視線を彼女に固定したまま、能力エミさんへの尋問を続けた。 「どうやら、あの子は私の妹らしいんだ」 「じゃあ、君は神様のお兄ちゃんになるわけね。いいじゃん」 「あの子は、神様なのか?」 「そうだよ。この村が祀っている神様さ」 「じゃあ……」  私の妹、霖を見つめる両目に、じわりと力が籠る。 「靂は、あの子のせいで生贄にされたってわけか」 「そういうこと」  能力エミさんが肯定する。 「つまり靂ちゃんは、あの子の『おやつ』として選ばれて、今はあの子の家にある逆流神社の冷凍庫で、冷凍保存されているの」 「……冷凍庫?」 「そう」  能力エミさんはどこか他人事のように、けれど僅かな哀れみを滲ませて言った。 「この灼熱の金星の中で、たぶん一番寒い場所なんじゃないかな。私はこの村の外を知らないから断言はできないけど、少なくとも私の知る限りでは、金星で最も過酷な極寒の地ね。もうすぐ凍えてシャットダウンしてしまうかもしれない」  私のCPUに焦燥のノイズが走る。  私は早口で問い詰めた。 「その逆流神社へはどうすれば行ける?」 「それは、わからない」  能力エミさんがあっさりと答えたため、私の焦りは苛立ちへと変わった。 「どういうことだ?行ったことがあるんじゃないのか?だから冷凍庫のことも、靂がそこにいることも知っているんじゃないのか?」 「ああ、それはね。生贄は逆流神社の冷凍庫に保管され、血祭りの時に解凍されるという手順が、知識として村のネットワークに共有されているだけ。たぶん、そこで働いている巫女さん経由の情報だと思うけど。それにね、逆流神社は『行く』場所じゃないの。『来る』場所なの」 「どういう意味だ、来る場所って」  能力エミさんは面倒くさそうに、しかし重要な真理を説くように説明した。 「普通、『場所』といえば座標が固定されていて動かないものだよね。不動産という言葉があるくらいだし。でも逆流神社は、そもそもそういった固定観念を破壊するために建設されたの。だから、場所の方から訪問者の元へやって来る仕組みになっている。みんな血祭りの時に神社が来てくれるから中に入ったことはあるけど、自分から訪ねていったことはないはずよ」 「じゃあ、どうすれば逆流神社はやって来てくれるんだ?」 「それは、血祭りにならないと来ないよ」 「じゃあ、血祭りを再び開くしかないってわけか」 「それは違うね」  突如、能力エミさんではない声が横から割り込んだ。  振り返ると、時計リュウ君だった。  私は手の中のボール――能力エミさんの頭部――を、待ちくたびれている霖の方へポンと放り投げ、時計リュウ君に向き直った。 「違うって、どういうことだ?」 「そもそも逆流神社は『場所は固定されている』という固定観念をぶち壊すために設立された場所だ。だがね、そのせいで逆に今度は、『その固定観念を壊すために存在する』という新たな固定観念に囚われ始めているんだよ」  私はこの美しい美男モデルの額にデコピンを食らわせたい衝動をぐっと堪え、質疑を続けた。 「もっと分かりやすく説明してくれないか?」 「つまりさ」  時計リュウ君は、待ってましたとばかりに嬉々として解説を始めた。 「自分から行けないわけじゃないってことさ。必ずしも向こうからやって来るのを待つ必要はない。お前が逆流神社に行く方法は、探せばきっとあるはずだ。『固定観念を壊す』という固定観念を逆手に取る戦略……。わかるかな?」 「行ける方法って、具体的には?やり方があるなら教えてくれ」 「そこまでは私も分からない。辿り着くまでのルートは、自分で探すしかないね」 「どうやって」  時計リュウ君は返事の代わりに肩をすくめた。そして、私との会話にはもう興味を失った様子で、チラチラとボール遊び――いや、生首遊びに興じる仲間たちの方へ視線を彷徨わせ始めた。  結局、彼は再びゲームへ合流するために私のそばを離れた。だが、去り際に一言だけ、私に残してくれる。 「大丈夫さ。きっと見つかる。なぜなら、未知こそが道なんだから」