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第14話

黒点百貨店


 走り続け、ひたすら何者かから逃げ続けるうちに、ふとレンタル自転車が目に入った。  24時間営業のコンビニエンスストアの駐車場だった。街は相変わらず濃い紫色の夜空に響き、今は深夜の時間帯。  手首のウォッチを確認すると、残された時間は30時間弱になっていた。 「30時間か……」  つぶやくと、迅璃が横から尋ねてくる。 「どんな気分? コップの水が半分残ってる気分? それとも、半分しか残ってない気分?」 「例えのバランスがおかしいな。半分じゃなくて、5分の1以下だよ」 「無粋な計算はいらないよ。こういうのは論理じゃなくて、感覚的な話。ことわりよりことわざなんだから」 「ふむ」  白熊が考え込む姿を真似て、0.02秒だけ思案してから答えた。 「コップの水が半分、残ってる」 「……」  迅璃は感激したような表情を浮かべ、それがすぐに満足げな笑みに変わった。 「私はね、燏君のそういう無彩色なスタンスが大好き」 「そんな私を好きでいてくれる迅璃が好きだ」  適当に答えたが、その軽さがバレたのか、迅璃の笑みがすぐに消えた。  心地よい沈黙が二人に降り、私たちは足早に道を進んだ。警察はまだ追いかけてくる。  3分ほど逃げ回るうちに、このままではキリがないと気づく。超高層ビル群のエリアに入り、ビルとビルの間隔が広がるにつれ、コンクリートの色がアイボリー系に変わり、半透明な部分も現れる。  15車線の道路を彩るネオンの桜並木が眩しすぎて、思わず光を避けたくなった。 「ちょっと、明るすぎる……」  私が呟くと、迅璃が説明する。 「ここは黒点通り。この街で一番明るい場所だよ」 「でも、黒点って太陽で一番暗いところだろ?」 「あ、ここは太陽じゃないから」  この通りの花火は音を立てていた。  花火大会ほど騒々しくはないが、聴覚を刺激する程度のノイズは十分だ。ボディのノイズキャンセリングを起動しても、街のヒューマノイドロボットたちの雑談が流れ込んでくる。 「とりあえず、どこかに入りたいね」  私がねだるように言うと、迅璃も頷く。 「そうだね。まだ裸だし」 「あそこに入ろう」  目に入った建物を指さした。すぐ近くに、巨大な黒い正六角形の建物がそびえていた。 「黒点百貨店ね」  迅璃が懐かしそうな目でそれを見つめる。 「昔、ここでバイトしてたんだ」 「百貨店?」  私は首を傾げる。  物を売る場所というより、物騒な研究施設や秘密機関のような雰囲気だった。  その正六角形の構造物は、明るい通りの一角で、光を吸い込むような光沢のないダークエネルギーに満ちていた。この建物があるからこそ、通り全体の眩しさがちょうど耐えられる均衡を保っているように感じられ、なぜこんな形の建物がここに建てられたのか、妙に納得がいった。 「いい選択だと思うよ」  迅璃が言う。 「この辺で一番大きいし、身を隠すのにちょうどいい。ヒューマノイドロボットも多いから目立たないし、服もたくさん売ってるから、裸の状態をどうにかできそう」 「じゃ、早速入ろう」  私たちは走って黒点百貨店に近づいた。近づくほど、周辺だけ夜が深まるような感覚がした。それまでは、まるで昼間のような空を埋め尽くす花火の色まで青々しく、時間の感覚が狂いそうだったが、この物騒な正六角形に近づくにつれ、トロピカル・ナイト・シティらしい夜の雰囲気が戻ってきた。  ふと、もう一つの記憶が蘇る。 「昼が嫌いだ」  つぶやくと、記憶が急に戻ってきた衝撃で足が重くなる。  迅璃が私の手を掴んで引っ張りながら、その言葉を聞いてくれた。 「昼を知ってる。きっと最初からずっとこの街に住んでたわけじゃない」  私はどこからこの街に流れ着いたのか。  その理由もはっきりした。 「昼が嫌いだったから。太陽が疎ましかったから、明るさから逃げて、この街にたどり着いたんだ」 「なのに」と迅璃が皮肉っぽく付け加える。「その太陽がないと、死んじゃうんだよね」 「まるで原始的な動物みたいだな」 「まあ、動いてるんだから、厳密には動物だけどね」 「私が言いたかったのは」と私は彼女の言葉を訂正する。「アニマルの方だよ」 「でも、この街は日本語が標準語だから、日本語で表現しないと」  そんな無駄な口論が始まった。  ヒューマノイドロボットは動物なのか、アニマルなのか。  そんな不毛な議論を交わしているうちに、私たちは完全な闇に包まれ、黒点百貨店の入り口前に立っていた。  もはや暗すぎて何も見えないレベルだ。 「可視光線が完全に消える瞬間が、黒点百貨店の入り口なんだ」  迅璃の説明に納得しつつ、他の光線を捉えるセンサーを起動することもできたが、久しぶりの闇の心地よさに水をかけたくなかった。  このまま何も見えない状態を楽しんだ。  まるで真夏の居間で扇風機に当たりながらアイスを舐めるような感覚。  快楽に近い暗闇に、徐々に浸っていく。  視覚センサーが遮断された分、聴覚センサーにエネルギーを割り当てられるようになり、迅璃の高音質な声がより鮮明に、明瞭に耳に届いた。 「じゃ、入るよ」  手をつないだまま、私たちは黒点百貨店に足を踏み入れた。