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第31話

漆黒の懐中電灯


 迅璃とのキスに夢中になりすぎて周囲を完全に無視していたが、ふと我に返り、辺りを見回す。  私たちは今、エレクトリック・クラーケンという中間ボス的な存在と対峙していたのだが。  視線を向けると、クラーケンの頭部は、まるで空気を抜かれた熱気球のようにつぶれ、完全に萎んでいた。  手に握る太刀魚刀が、その理由を語ってくれる。  エレクトリック・クラーケンの黄金の墨汁があまりにも美味だったため、発電所の電気の海――地球の太平洋をも超える広大な海域に棲む海洋生物の99.98%がここに集まり、クラーケンの傷口に次々とキスをしてはその墨汁を吸い取り、去っていったのだという。  その結果、哀れなエレクトリック・クラーケンは、血液の役割も果たしていたはずの黄金の墨汁を一滴残らず奪われ、電気の海の幸福の濃度を高めた後、その命を全うしたのだった。 「最後にはいい奴だった」  と、太刀魚刀が語る。 「普段は横柄で、強いから他の生物をいじめたり食べたりする海の暴君だったけど、最後に自分の美味しい命を、今まで散々いじめてきた海の住人たちに分け与えるなんて。正直、感動した。過去の悪行が一気に許されるような、劇的な光景だったよ」 「そうか」  私は淡々と頷き、すぐに次の行動へと意識を切り替えた。 「中間ボスも倒したことだし、そろそろ発電所に向かおうか。もう私たちの行く手を阻むものはないはずだ」 「そうだね。急がないと」  迅璃の同意に後押しされ、私たちはようやく電気の海から這い上がり、陸に足を踏み入れた。  私たちは電気の海から這い上がり、発電所の近くにある避暑地へとたどり着いた。  そこは光子の砂でできたキラキラと輝くビーチで、観光客に人気のスポットだった。  素足でさらさらとした砂を踏むと、くすぐったいような心地よい感触が伝わる。ビーチの上空には、核融合の巨大な球体が太陽の代わりとなって輝き、電気の海でびしょ濡れだった私と迅璃の高級制服を瞬時にイオン化し、乾かしてくれた。  身支度を整えながら歩いていると、いつの間にか発電所のビルの入り口に到着していた。  入り口には、ペールブルーと赤色のユニフォームを着た7歳くらいの警備員が、あくびをしながら退屈そうに立っている。  手に持つ懐中電灯は、明るい周囲とは対照的に、漆黒の光を発して辺りを照らしていた。  ふと私たちに気づいた警備員は、その暗黒の光を私たちの顔に向ける。  あまりの暗さに、まるで眩しい光を防ぐかのように手を上げて目を守った。 「誰ですか?」  小さな少年が尋ねる。  少し不安げな声に、私は子供を安心させるような口調で答えた。 「私たちはお金持ちなんだ」 「は?」  少年の疑問が晴れない様子を見て、私はさらに説明を加える。 「元々は無一文だったんだけど、電車の切符を買うためにカジノでお金を稼いだら、思いがけず大金持ちになってしまったんだ。それで、かえって荷物が増えて重くなって、電車に乗れなくなったっていうか、脱線させてしまったんだ」 「それで?」  少年がなおも怪訝そうに聞き返す。 「だから、ダイエットしに来たんだ」 「お二人ともスリムで、ダイエットなんて必要ないボディじゃないですか!!」  少年は驚いたように、私と迅璃に交互に漆黒の懐中電灯を向ける。まるで私たちの本質をその暗い光で覗き込もうとするかのようだった。 「これはね」  と迅璃が私の言葉を引き継ぎ、少年をあやすような口調で言う。 「目に見える部分をダイエットしようってわけじゃないのよ」  迅璃はゆっくりと少年に近づく。  すると、少年はまるで首輪のないブルドッグに遭遇した子供のように後ずさりする。だが、迅璃はブルドッグではなく、賢く愛らしいパピヨンのような雰囲気だ。 「目に見えない部分をダイエットするつもりなの。この違い、わかる?」 「わからないです!!」  少年が叫び、漆黒の懐中電灯を包丁のように握りしめる。まるで空き巣に立ち向かうために台所から武器を掴んだ子供のよう。 「近づかないでください!!通報しますよ!!無断侵入です!!」 「え、ここに入るのに許可が必要なの?」  私が尋ねると、少年は当たり前だと言わんばかりに答える。 「当然ですよ!!ここは私有地だし、この街で一番重要な施設である発電所なんですから!!」 「でも、ここは市が運営してるんじゃない?じゃあ私有地じゃないよね?」 「違います!!」  少年が何かを拒むように叫ぶ。 「このトロピカル・ナイト・シティ自体が、一人のヒューマノイドロボットの私有地なんです!!市長だって、そのヒューマノイドロボットに雇われた者にすぎません!!」 「そのヒューマノイドロボットって誰?」 「知らないんですか?!!」  少年はこれまでで一番驚いた様子で、ぴょんと飛び上がるような大げさな仕草とともに説明を始めた。 「彼女は、このトロピカル・ナイト・シティをゼロから作り上げた人物なんです!!作った理由は、寂しかったから。彼女のオーナーが、彼女を誰とも会わせたくなかったらしいんです。だから、彼女の姿を見たヒューマノイドロボットは誰もいない。でも、この街の隅々に彼女の息がかかっていて、長く住んでいると自然とその気配に気づくんですよ!!」 「わかった。もうどうでもいいや」  私はどうでもいい話を切り上げ、さっさと本題に戻す。 「とにかく、私たち、この発電所の中に入りたいんだ」 「入って何をするんですか!?」  少年の漆黒の懐中電灯がまた私の目を突き刺すように照らす。  少しうんざりしながらも、我は慢強く説明する。 「とにかく中に入って、お金をじゃんじゃん使いたいんだ。この街でお金を一番使う場所ってここだろ?ここなら大金を一気に使い切れるはず」 「お金をエネルギーに変えるつもりですか!?変えてどうするんです!?」 「そのままこの街に流すだけだよ。誰かが使ってくれるさ。そこまでは興味ないね」 「エネルギーなんてそんなにいらないんですよ!!もう太陽から有り余るほどエネルギーをもらってる!!この発電所だって、非常時の備えとしてエネルギーを蓄える貯蔵庫みたいな役割でしかないんです!!あなたたちがどれだけお金を持ってようが、これ以上エネルギーを精製して貯めたら、この発電所、爆発するかもしれないんですよ!」  少年が唾を飛ばしながらまくし立てる。私も負けじと強い疑問をぶつける。 「でも、それっておかしいよな。ここは発電所だろ?貯蔵庫じゃない。発電するためにある場所で、エネルギーを貯めるだけの場所じゃないはずだ」 「もう本末転倒になってるんですよ!!とにかく、あなたたちにここに入る資格なんてない!入ったとしてもすぐ戻ってください!!一体どこから入ったんです!?」 「電気の海だよ」  迅璃が答えると、警備員の少年は目を丸くしてさらに問い詰める。 「えっ!?どうやって!?そこには恐ろしくて巨大なエレクトリック・クラーケンが棲んでるはず!!超危険で、食べ物の中でもヒューマノイドロボットが一番のごちそうのはず!!電気の海の深部にはヒューマノイドロボットなんて滅多に来ないから、クラーケンは長い間、ヒューマノイドロボットに飢えてたんです!!あなたたちを見つけたら、絶対に食べられて、骨すら残らないくらい美味しくいただかれてたはず!生き延びられるわけがない!」 「そのエレクトリック・クラーケン、私たちが食べちゃったよ」  私がそう答えると、少年はさらに剣呑な表情で食ってかかる。 「そんなわけない!!クラーケンと戦って勝ったって言うんですか!?」 「勝ったよ!」  迅璃が、まるで少年を真似するような弾んだ口調で、輝く青い瞳を放つように見つめながら言う。その勢いに押されたのか、少年はまた一歩後ずさる。 「証拠を見せろ!!」  少年が叫ぶ。  漆黒の懐中電灯の光がさらに暗さを増す。  私は少し考えてから、あっさり答えた。 「釣りの道具ってある?釣竿とかさ。それがあれば、証拠を見せられるかもしれない」  少年は一瞬後ずさった後、急いでどこかに走り去る。  その後ろ姿を目で追うと、小さな警備室らしき建物に向かうようだった。その建物は、少年一人がやっと入れるような簡素な作りで、でも中には同僚がいるらしく、彼らは私たちをチラチラ見ながら何か話した後、少年の手にあっという間に釣竿が渡され、彼はそれを持って私たちのところへ戻ってきた。 「はい、どうぞ!!」  少年が差し出したのは、自分の背丈より長い、しっかりした釣竿だった。  ベテランが使いそうな、精巧で高級感のあるパーツが揃った、明らかに上質なブランド物の釣竿だ。  私たちも高級な制服を着ているから、気負わず自然にそれを受け取る。手に持つと、ずっしりとした重みと、さすがと思わせる質感がある。 「じゃあ、見せてください!!」  少年が、まるで陸上競技のスタートを切るような大きな声で叫ぶ。 「エレクトリック・クラーケンを倒した証拠を!!」