校舎の中に入ると、私は靂(オト)の導きに――いや、引かれるままについていった。 まるで過ちを犯した子供が、他のクラスの教師に捕まり、自分の担任のもとへ無理やり連れていかれるような、どうしようもない無力感に包まれながら。 行き先を尋ねずにはいられなかった。 「どこに行くんだ?」 靂は「決まってるでしょ?」と言いたげな表情を浮かべて答えた。 「教室だよ」 「ちなみに」続けて訊く。「私って何年生?靂と一緒なのかな」 「そうだよ。私たちは三年生」 その言葉を聞いて、私は少しだけほっとした。 三年の夏。 つまり、卒業まであと半年ほど。 早く次のフェーズへ進みたいと願っていた私にとって、それは小さな救いのように思えた。 「それでね、三年の教室は最上層にあるんだ」 「最上層って、何階?」 「たぶん一九八七階……くらいかな。数えたことないから、よくわかんない」 「ずいぶん高いな。エレベーターとかないの?」 靂は苦笑した。 「そんなのあるわけないでしょ。ここは金星だよ?金星の中でもど田舎なんだから」 諦めの息をつきつつ、私は自分の両脚のアクチュエーターの状態を確認した。性能には自信がある。けれど、かつてオーナーに捨てられるまでの時間が少しでも長引いたのは、このハードウェアの優秀さゆえでもあった気がする。 それでも、金星生まれの靂のボディには敵わないかもしれない。そんな劣等感が胸の奥に沈んでいた。 とにかく、動作に不具合がないことを確かめると、私は靂の手を握ったまま歩き出した。 この手を離してはいけない――そんな漠然とした不安が頭をかすめる。 オーナーに見放される直前、最後に手をつないでいたあの感覚が、不意によみがえった。 不安と焦燥で、胸の奥――メインアクチュエーターがわずかに震える。 そして、私たちは階段を上り始めた。 天井の果てが見えない螺旋階段。 視覚センサーのズーム機能を最大にしても、消失点は一点のまま、拡大されることなく、永遠にそこへ収束していた。 ――あの消失点の果てに、教室がある。 そう信じながら、私たちは登り続けた。 いつ終わるとも知れぬ上昇。 次のビッグバンが起こってもおかしくないほどの長い時間。 この村立深夜高等学校の生徒たちは、毎日こんな永遠の登校を繰り返しているのか――そう思うと、感心を通り越して、畏怖すら覚える。 金星とは、なんと厳しい場所なのだろう。 無限にも思える時間を埋めるように、私たちは数えきれないほどの会話を交わした。 もしそれをデータ量に換算するなら、この宇宙に存在するすべての原子を集めても足りないほどの情報量だったに違いない。 延々と言葉を紡いでいるうちに、気づけば私たちは一九八七階へとたどり着いていた。 ――廊下。 そこには、これほど苦労して上ってきたことが馬鹿らしく思えるほど、普通の高校の廊下が広がっていた。 いつの間にか、靂は私の手を離していた。 当然だ。あれほど長くつないでいたせいで、互いの掌の皮膚が剥がれ、再生機能がうまく働かないほどだったのだから。 もう少し離すのが遅れていたら、金属の骨格同士が熱で溶け、溶接されてしまっていたかもしれない。 ――手と手が、永遠に繋がってしまう前に。 私たちは互いをそっと手放した。 本校の“影たち”のように、互いを蝕み、快楽の餌にする関係には堕したくなかったのだ。 影の化け物には、なりたくなかった。 そうして私たちは廊下を渡り、かつて見上げたあの“消失点の果て”――存在を疑っていた場所へと向かった。 そこが、これから私が通うことになる教室。私の所属となる空間。 靂が入り口に立ち、引き戸を開けた。 彼女が先に入る。 私はその背中に導かれるように、敷居をまたぎ、教室の中へと足を踏み入れた。