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第31話

赤蛙


「いただきま~す」  宣戦布告と共に、霖が巨大なシャボン玉を射出した。  回避行動を取るには弾速が速すぎた。  衝突は不可避。  ならば着弾する前に破壊するしかない。  それは思考というより脊髄反射だった。私は本能的に、片腕を刀のように振り抜いていた。  キィン。  硬質な音が響く。  いつの間にか私の前腕は、皮膚も肉も捨て去り、見惚れるほど鋭利な銀白色の刃へと変形していた。  鏡面のように磨き上げられたその平には、一つの警句が刻まれている。  『The best part is no part』  最良の部品とは、部品が存在しないことである。  どこかで目にした覚えのあるエンジニアリングの金言だ。  記憶回路にはないはずなのに、ボディのOSはその意味を深く理解している。まるで生まれた時からそこにあった器官のように、その刃は私の身体に馴染んでいた。  私は白銀の前腕を、忌々しい空気を払うように一閃させた。  チリン。  鋭く、それでいて耳に心地よい風鈴のような音が、静寂の池に鳴り響いた。  上等な業物だ。  今まで余裕を崩さなかった霖の表情に、初めて亀裂が入る。 「何なのよ、その刀」  私は口をついて出た言葉を、そのまま告げた。 「風鈴剣だ」  その名を合図に、私は池の方へ身を投げ出した。  着地したのは、一輪の蓮の上。  高性能なAIを搭載しているらしいその蓮は、新たなユーザーである私の機体情報を瞬時に認証し、手足の延長のように制御下へと置かれた。  私は思念一つで蓮を操縦し、空中に浮遊する霖の蓮と同じ高度まで一気に上昇させた。  ようやく、私たち兄妹は同じ目線に立った。  これから、妹の首を斬り落とす。  さもなくば、靂が溶けてしまう。  私は迷うことなく風鈴剣を構え、霖の乗る蓮めがけて跳躍した。  そのまま、私は霖の首を刎ねるべく、風鈴剣を真横に振り抜いた。  しかし、肉を断つ感触も、金属を弾く衝撃音もしなかった。  視線を走らせると、霖が私の刀身を、その白い歯でがっちりと噛み止めていた。 「い、痛っ!」  痛覚信号が逆流する。  風鈴剣に変形したとはいえ、これは私の前腕そのものだ。  彼女が顎に力を込めるたび、骨ごと砕かれるような激痛がニューラルリンクを通じて脳髄に直接入力される。  引き抜こうと試みるが、霖の顎の力は万力のように強大だった。彼女の歯のエナメル質は、私の剣の硬度を上回っているらしい。  このままでは折られる。  ならば引くのではなく、押すしかない。  私は渾身の力で、噛みつかれた刃をさらに奥へと押し込んだ。  ギィンッ!  硬質な摩擦音と共に、刃が滑った。  刀身は彼女の歯列をこじ開けることなく、そのまま水平方向へスライドし、霖の頭部を上下真っ二つに断ち割った。  あっけなく、霖の頭の上半分が宙を舞う。  露出した切断面に、血液や肉片は存在しなかった。  そこには、超高密度に集積されたカーボンナノチューブの配線や、極小の半導体チップ、アクチュエーターが整然と並んでいた。  それはまるで、夜の未来都市を上空から見下ろした俯瞰図のように、緻密で美しい幾何学模様を描いていた。  断たれた回路から、極彩色のスパークが散る。  一人用の手持ち花火が弾けるように、パチパチと光の粒子が溢れ出し、それが信号となって周囲の物質を呼び寄せ始めた。  スパークは切断面のあらゆる構成素材を磁石のように吸い寄せ、瞬時に再構築を開始する。  失われた頭蓋の代わり隆起してきたのは、ぬらりと光る赤い皮膚と、毒々しいイボに覆われた巨大な両目だった。  霖の下顎から上は、瞬く間に「赤蛙」の頭部へと変貌を遂げていた。  一方、斬り飛ばされた本来の上半分――霖の脳天部分は、地面に落ちることなく空中で静止した。  ボブカットの髪の毛がヘリコプターのローターのように高速回転し、揚力を生み出している。  ドローンと化した「頭の半分」は、ブブンと重低音を響かせながら私の周りを旋回し、その吊り上がった目で激しい怒りを放射してくる。  正面の「赤蛙」もまた、激怒していた。  半蛙半人となった霖は、四股を踏む相撲取りのようなポーズをとった。  すると、彼女が纏っていたモダンな浴衣がドロドロに融解し、赤い粘液となって全身を覆っていく。人間の四肢は膨張し、関節がねじれ、見る見るうちに巨大な両生類のそれへと作り変えられていく。  当然、私はその隙に攻撃を仕掛けるべきだった。  だが、「変身中の敵には手を出してはならない」という全宇宙共通の固定観念に縛られ、あるいはそのグロテスクな変貌に圧倒され、私は貴重な三秒間、棒立ちで待つことしかできなかった。  変身が完了する。  完全な赤蛙となった霖のボディに、池に浮かんでいた蓮たちが次々と吸い寄せられていく。  それらは装甲板のように、あるいは増強パーツのように、ペタペタと赤い皮膚へ付着した。蓮を取り込むたびに、カエルの質量は指数関数的に増大していく。  私は巻き込まれないよう、蓮を操縦して大きく距離を取った。  カエルは肥大化を続けた。  やがてその巨体は、広大な池全体をただのバスタブとして使うほどのサイズにまで膨れ上がった。  仕上げとばかりに、空中を旋回していたドローン頭部つまり霖の元々の上半分が、真っ白なタオルへと擬態し、巨大な赤蛙の頭頂部にポンと乗っかる。  その姿は、真っ赤な巨大ガエルが、頭に手ぬぐいを乗せて温泉に浸かっている図そのものだった。  そこはまさに血の池地獄で。  カエルの体温があまりに高いため、池の硫酸は沸騰し、煮えたぎる熱湯と化している。  普通なら「ゆでガエル」になって自滅するところだが、コイツに関してはその希望は捨てた方がいい。熱くなればなるほど代謝が上がり、エネルギーが充填され、すくすくと元気に育っているのが見て取れるからだ。  カエルのサイズは、もはや山脈だった。  かつて地球最高峰と呼ばれたエベレストに匹敵する威容。  あまりのスケール差に、私はどこを攻撃すればいいのか見当もつかなかった。  風鈴剣一本でどうにかできる相手ではない。  CPUの中で白旗を掲げたくなるほどの絶望感がのしかかる。  赤蛙が、その喉元の鳴嚢(めいのう)を大きく膨らませた。  グゲゲゲェェ……。  地響きのような鳴き声と共に、巨大なシャボン玉が吐き出され、私の方へと飛んできた。  私はそのメッセージを受信する。  そして即座に、「ミュート」ボタンを押した。  そして、私は底冷えするような冷徹な視線を向けたまま、彼女からのメッセージパケットを一切受信拒否し、こちらからの送信のみを許可した。  相手はもはや山脈のごとき巨体と化していたが、その頂点にある司令塔だけは、今まで通り正常に通信を受け取れるようだった。  私は淡々とテレパシーを飛ばした。  『霖(リン)。私は靂(オト)のことが大好きだが、正直に言えば、いつの間にか妹というポジションに収まっていたお前のことも、大切にしようとする意思はあったんだ。なんせ、性格は破綻していても妹だからな。同じ企業ラインから生まれた血筋ならぬ回路筋というか、同郷のよしみというか、そういう情は確かにあった。だがな、今この瞬間をもって、お前のことが――霖のことが、大嫌いになった。なぜか分かるか?理由は単純だ。私がカエルを大嫌いだからだ』 「……」  霖からのシャボン玉爆撃が、ピタリと止む。  ショックを受けたのだろう。  私は畳みかける。  『だから私は、霖が、大嫌いだ』