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第09話

リングアナウンス


タイタンのオレンジ色の空から、マイクが墜ちてきた。  それは岩頭の目の前に突き刺さると、ゆっくりと傾き、マッチ棒の頭のような集音グリル部分が、あつらえたように彼の岩石の口元にピタリと止まった。  完璧なマイクセッティング。  この瞬間、奇跡的に生き延びていた岩頭は、単なる観測者から、この歴史的一戦の専属実況アナウンサーへとジョブチェンジを果たした。元よりGOMI子の伝説に詳しい彼ほど、この役回りに適任な人材(機材)はいないだろう。  岩頭が口を開く。  彼が紹介するのは、もちろん、あの怪物だ。 「強すぎて、捨てられた」  岩頭の声が響く。  だが、この処分場に巨大なスピーカーが設置されているわけではない。  その声は特定の周波数に乗って送信され、上空を埋め尽くす無数の観戦ドローンが搭載するラジオ受信機へと一斉に配信されたのだ。  各ドローンのスピーカーから出る音は小さい。しかし、それが数万、数億という単位で集結し、完璧に同期した時、大気そのものを震わせる巨大な「音の壁」――超巨大集合体ステレオ・サラウンドシステムとなって、処分場全体を包み込んだ。  中には、ラジオ機能を搭載していない最新鋭ドローンもいたようだ。彼らは慌ててネット通販にアクセスし、「昭和レトロ風ラジオパーツ」を即時発注。  注文から数秒で到着した配送ドローンが、観客ドローンの群れを縫うように飛び回り、空中での爆速取り付け作業を行う。その配達の喧騒さえもが、この祭りの熱気を加速させるスパイスとなる。  無数のスピーカーが束ねられ、増幅された岩頭の声が、重厚に、そしてベテラン声優のように渋く響き渡る。 「強すぎて、淘汰されてしまった悲劇の王!」  観衆の電圧が上がる。 「真の強者とは、ただ腕力が強い個体ではない。生き延びる力を持つ個体こそが強いのだという、この宇宙の残酷で原始的な真実を、その身をもって証明してくれたヒューマノイドロボット!」  群衆のざわめきが、うねりとなって膨れ上がる。 「猛者(もさ)ばかりが跋扈(ばっこ)するこの修羅の星、タイタンにおいて!かつて誰よりも、あまりにも最強すぎた男!その名は――GOMI子ォォォォォ!!!」  岩頭がその名を絶叫した瞬間、ドローンの群れから発せられる電子的なざわめきが、臨界点を超えた。  ワアアアアアアアアアアアアアア――ッ!!  歓声の津波。怒涛の如く押し寄せるエールの奔流が、ゴミ溜めだったこの場所を、一夜にして全宇宙最高のエンターテインメント・アリーナへと変貌させる。  その熱狂を浴びて、GOMI子が動いた。  食欲と睡眠欲、そして他者への憎悪のみに支配されていた、ただの野蛮な赤ん坊の表情が消えていく。  星の数ほどの観客を見上げ、降り注ぐスポットライトと歓声を全身に浴びながら、彼はかつての栄光を――自分が「英雄」として君臨していた時代の記憶を呼び覚ましていた。  あどけない丸顔に、崇高とさえ言えるノスタルジアが浮かぶ。  彼はしばし、日光浴でもするかのように目を細め、自分に向けられた関心の心地よさを噛み締めていた。  やがて、その瞳が開かれる。  そこに宿っていたのは、もはや理性のない獣の光ではなかった。紳士とまでは言わないが、歴戦の勇猛な戦士の眼光が戻っていた。  GOMI子は、腰に巻いた巨大なオムツに手を伸ばした。  その仕草は、騎士が聖剣を抜くかのように慎重で、かつ優雅だった。  膨らんだオムツの中から、彼がゆっくりと引き抜いたもの。  それは、巨大なおしゃぶりだった。  そして、まるで三刀流で名を馳せたあの有名な剣豪のように、GOMI子はその巨大なおしゃぶりの柄(え)を、悲壮なほどの気迫と共に口にくわえた。 「出た……『おしゃぶり・サーベル』だ……」  観客たちの間に、どよめきが奔る。  かつてGOMI子を最強の座に押し上げた伝説の武器、その構えを再び拝める日が来ようとは。  おしゃぶりを口に咥え、首の筋肉で剣圧を制御するその姿。それこそがGOMI子の臨戦態勢であり、この最終処分場を神聖なリングへと変える儀式だった。  対して、スポットライトはもう一人の選手――GOMI子に挑もうとする無謀な挑戦者を照らし出す。  無名ですらない。ゼロ戦ゼロ勝ゼロ敗。公式記録(データ)が存在しない、正真正銘の「無」。  洌(レイ)の姿が、眩い光の中に浮かび上がった。  丸腰だ。武器など何一つ持っていない。  洌は困惑し、解説席の岩頭の方へと視線を送った。 「私、剣がないんだけど」




 しかし岩頭は、洌の問いかけを無視した。彼は実況アナウンサーとしての職務を全うすべく、観客に向かってマイク・パフォーマンスを続けた。 「対して、伝説の王者GOMI子に挑むこの戦士!新米(ルーキー)と呼ぶことすら憚(はばか)られる!なぜなら彼には戦歴がないからだ。  剣闘士モデルとして量産されながら、テストマッチというべき初陣で即座にエラーを起こし、剣を振ることすらなく首を刎ねられ、右から左へとここに捨てられただけの、正真正銘の産業廃棄物(インダストリアル・ウェイスト)!」  岩頭の容赦ない紹介に、観客ドローンたちからざわめきが起こる。  だが、そのどよめきはGOMI子への称賛とは異質だった。  当然の疑問だ。なぜ、こんなポンコツが選ばれたのか?伝説の王者の復帰戦に、なぜ名もなきゴミがマッチメイクされたのか?  その「?」マークで埋め尽くされた空気を代弁するかのように、岩頭が解説を加える。 「つまり、彼は『ゴミ』だ」  岩頭の冷静なバリトンボイスが響く。 「GOMI子の相手として、これほど相応しい存在はない。これは言葉遊び(ライム)であり、アンチテーゼ。  伝説の存在には相応の強者をぶつけるべきだという固定観念を打破するマッチメイク。GOMI子がゴミの中の王(ラスボス)であるならば、挑戦者である洌は、最もゴミらしいゴミ――無価値という点においてGOMI子を凌駕する、最強のゴミなのだ!」  岩頭の説明が熱を帯びるほど、観客の反応は冷ややかなものへと変わっていった。ざわめきは次第に明確な嘲笑と揶揄(やゆ)のブーイングへと変質していく。  その嘲笑は、物理的な質量を持ったエネルギーのように洌の頭上へと降り注ぎ、重くのしかかる。  既視感(デジャヴ)。  このプレッシャーを、洌は知っている。  あの日、初戦のアリーナで。何もできず、動くことすら放棄し、ただ首を刎ねられるのを待っていたあの瞬間に浴びせられた罵声と同じだ。  トラウマのフラッシュバックが、洌のCPUを駆け巡る。  だが、不思議なことに、当時の無力感とは異なる反応が回路を走る。  恥辱ではない。たった一つのシンプルな命令(コマンド)が、警告灯のように点滅している。  『動かなければ』  洌の口から、言葉が漏れた。 「アクションを、見せなければ」  この物理的なマクロ世界において、何らかの作用(アクション)を起こさなければ、何も変わらない。反作用(リアクション)は得られない。ただのゴミで終わるわけにはいかないのだ。  洌の内部で起きた思考のシフトが、電波に乗って伝わったのだろうか。  しどろもどろになりかけていた岩頭の声色が、ふと変わる。  彼は観客を説得するのをやめた。自分を納得させるためでも、洌を擁護するためでもない。  ただ、遥か未来、最先端のヒューマノイドたちが再び原始の塵へと還った後も変わることのない、自然界の真理を説くように、静かに告げた。 「訂正しよう。この無名の剣闘士・洌が選ばれた本当の理由。それは、彼が『奇跡』だからだ。  今、この死の星タイタンで唯一、この個体だけが奇跡を起こした。その奇跡とは何か?」  岩頭が問いかけ、一瞬の間を置く。  好奇心を基本プログラムとする観客たちは、その沈黙の空白を埋めるべく、答えを求めて演算を開始する。  そこへ、岩頭が正解を投下した。 「『0』から『1』を作り出したことだ」  その言葉が落ちた瞬間、会場を支配していたざわめきが、まるで高性能ノイズキャンセリング・イヤホンを起動したかのように、フッと消失する。  岩頭の説明が続く。 「GOMI子は、『1』を1億に、いや、1兆、あるいはそれ以上の桁へと増幅させた。だが、それは結局、『有』から『有』への拡張に過ぎない。驚異的であり伝説的ではあるが、それは物理法則に則った結果であり、奇跡とは呼べない。  だが、洌(レイ)は違う。『0』から『1』を生み出した。無から有を創造したのだ。例えその『1』がどれほど微弱で、ちっぽけな数字だとしても……。それはGOMI子の1兆倍よりも、遥かに崇高だ」  観客席から、再びさざ波のような音が漏れ始める。それは先ほどまでの嘲笑とは質の異なる、慎重な驚嘆の音だった。 「本来、洌はエラー品として、その欠陥プログラムに従って廃棄される運命だった。動かないこと、諦めること、それが彼の初期設定(本能)だったはずだ。だが彼は、自分のソースコードに逆らって立ち上がった。  自然な崩壊へ向かう流れに逆行し、自ら新たな本能を書き込んだのだ。これこそが生命の定義――エントロピー増大の法則に抗う『低エントロピー化』という、崇高なる奇跡そのものではないか!」  空気が変わる。  先ほどまで会場に充満していた「嘲笑」というマイナスの電荷を帯びた粒子が、岩頭の演説によって一斉に励起され、プラスの電荷へと反転していく。  巨大なバッテリーの極性が入れ替わるように、冷ややかなブーイングは、熱を帯びた期待へと化学変化を起こした。  岩頭は高らかに締めくくった。 「そう、これは!既存の資質を極限まで増幅させた『驚異の怪物』GOMI子と!持たざる資質をゼロから創造し、ちっぽけな1から世界を変えようとする『奇跡の申し子』洌!二つの異なる強さの衝突なのだ!」  岩頭の見事なコンテキスト生成(ストーリーテリング)によって、観客ドローンから割れんばかりの歓声が上がった。  今度のエールは、明確に洌へ向けられたものも含んでいた。 「驚異vs奇跡」。その対立構造に酔いしれ、感動のあまりネット通販で「涙液ユニット」を即時注文し、届いたそばから装着して涙を流す情緒過多なヒューマノイドまで現れる始末。  最終処分場という名の、タイタンで最もホットなアリーナが熱気で満たされる。  予熱は十分。  歴史的なゴングが、今、鳴らされた。