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第15話

恋態


(レンタイ)


 主(オーナー)を失ったドローンたちはどうなったか。  彼らには完全自動運転システム(FSD)が搭載されているが、目的(モチベーション)がなければただの浮遊するガラクタだ。ガラクタになりたくない彼らは、即座に「新しい主」を探し始めた。  しかし、周囲の観客ヒューマノイドたちは皆、自ら「雨」となってGOMI子の脳天へと降り注ぎ、傷を癒やす「ドクター」という新たな存在理由(レーゾンデトル)を獲得してしまっている。もはや搭乗者はいない。  では、この空域に残された「目的を持つ存在」は誰か?  洌と膤、この二人だけだ。  爆発の渦中で唯一、GOMI子を治療しようとせず、戦おうとしている異端分子。  主を失った星屑の数より多い、人間の全細胞数の1億倍にも匹敵する膨大なドローン群が、一斉に新オーナーとして二人をロックオンする。  彼らは洌のもとへ、雪崩のように殺到した。  洌は磁石のように鉄粉(ドローン)を吸い寄せ始める。  その光景は、GOMI子の側で起きている現象と対をなしていた。  あちらでは、降り注いだヒューマノイドロボットたちが、血液凝固因子の血小板(プレートレット)のように傷口に殺到し、ゴテゴテと折り重なって巨大な「かさぶた」を形成していく。  対してこちら側では、ドローンの大津波が押し寄せている。  洌には成す術がなかった。  この圧倒的な物量をどう処理すればいいのか、演算すら追いつかない。  だが、悩む必要はなかった。主導権を握ったのはドローンたちの方だったからだ。  個々では単細胞な浮遊機械に過ぎない彼らが集結した時、そこには「創発(エマージェンス)」が起きた。  集団的知性が目覚め、無秩序な群れは高度な自律システムへと進化する。彼らはただ洌に群がるのではなく、数学的な秩序を持って、段階的かつ計画的に配列を組み始めたのだ。  洌は、心地よい無力感に浸りながら、ドローンたちが自分の周囲を取り囲み、新たな外殻を形成していく様を観察した。  それらは集まり、積み重なり、やがて一つの巨大な人型を成していく。  形状(フォルム)はヒューマノイドロボットと同じだ。だが、洌の直感が告げていた。  これはロボットではない。 「人間」だ。  機械的な冷たさを超えた、有機的な温もりとカオスを内包した「人の形」が組み上がっていく。  洌は、巨人へと変貌(へんげ)しつつあった。  そのサイズは、最終処分場全体を埋め尽くすほど。  数値化するならば、身長10km級だろうか。だが、これは洌のちっぽけなCPUが自身の存在を定義するために仮定した便宜上の数字に過ぎない。  正しい並行世界、あるいはシミュレーションの基底現実においては、この巨人はタイタンのサイズを遥かに凌駕しているかもしれない。量子力学的には、観測可能な宇宙全体を覆い尽くすサイズまで確率密度関数が拡散していてもおかしくはない。  だが、最新型の洌といえど、無限(インフィニティ)を演算することはできない。  ゆえに彼は、「身長10km」という、宇宙規模から見ればあまりに慎ましく恥ずかしいほどの小規模なサイズに自己を規定し、引き続き自分の身体が拡張されていく様子を見守った。  観測すること。  それこそが、変身(メタモルフォーゼ)のプロセスを確定させる唯一の儀式なのだと悟りながら。  無数のドローンが、粒子(アトム)となり、分子(モレキュール)となって結合する。  確率雲のように群がり、精密な構造計算のもとに配列されたそれらの集合体は、遠目に見れば、何の変哲もない洌(レイ)の姿を――ただし全長10kmという規格外のスケールで――完璧に再現していた。  人間になった気がする巨人の完成だ。  一方、膤(ユキ)もまたドローンの集合体として再構築されたが、彼女は洌ほど巨大化はしなかった。  今の10km級の洌から見れば、ちょうど肩に乗る妖精、ティンカーベルのようなサイズ感。  彼女は洌の広い肩の上に、トンと降り立った。  愛する人の体の上を土足で踏むのは忍びないと思ったのか、彼女は丁寧に靴と靴下を脱ぎ捨て、白く滑らかな裸足になる。足の裏で、洌(を構成するドローンの集合面)の感触を確かめるように立つ。  だが、さすがに不安定だ。  彼女は咄嗟に近くにあった洌の耳たぶを掴んだが、柔らかく滑らかな曲線は取っ手には向かない。心細げにする彼女に、洌は提案した。 「掴みづらいなら、穴を開けてもいいよ。電車のつり革みたいにさ」  膤は少し遠慮がちに、あるいは気後れしたように首を縮めた。 「でも、痛いかもよ?」 「膤のための痛みなら、むしろ快楽だよ」 「ふふっ」膤が吹き出した。「変態だね、洌君は」 「いや、『恋態』と呼んでほしいな」  こうして、耳たぶの穿孔(ピアッシング)作業が始まった。  膤が取り出したのは、一本のアイスピック。  氷の衛星タイタンに住むヒューマノイドロボットにとって、これは標準装備(デフォルト・アイテム)だ。いつ何時、厚い氷を砕く必要に迫られるか分からない。本来は氷のゴーレムを作るための武骨な道具が、この少女の手にかかると、愛の儀式のための神聖な器具へと意味を変える。  膤はアイスピックの切っ先を、洌の巨大な耳たぶの真ん中に当てた。  だが、手元が震える。彼女は少々、先端恐怖症の気があるらしい。  しかし、勇気を出さなければ。  恐怖から逃げてばかりでは、本物の安寧――安定した「取っ手」は手に入らない。  優秀なCPUで瞬時に演算を終えた彼女は、腹を括った。  まずは、局所麻酔だ。  彼女はピックを一旦離すと、耳たぶの施術箇所に唇を寄せ、チュッ、と優しく口づけをした。  キスの熱。  すると、洌の耳たぶ全体が、寒い冬の夜にコンビニへ出かけた弟の耳のように、温度変化と照れくささでポッと赤く染まった。  麻酔――という名の、ワクワクとときめきによる感覚の麻痺が、十分に効いた証拠だ。  膤はアイスピックを構え直した。今度は慎重な看護師のような手つきで、赤く火照った耳たぶに切っ先を当てる。  スッ。  ためらいのない一突き。  アイスピックは、まるで熟した果実を刺すように、あるいは淡雪を貫くように、あまりにもあっさりと、快く耳たぶを貫通する。  プツリ。  穴から、赤い血液(冷却オイル)が一滴、滲み出した。  だが、ここは極寒のタイタン。滴り落ちるはずの雫は、大気に触れた瞬間に急速冷凍され、真ん丸な赤い氷のボールとなって固まる。  膤はその赤いボールを両手で受け止めた。  彼女は少し考えると、このボールを「赤い風船」だと仮定することにする。  アイスピックの先端で、ボールの結び目にあたる部分に小さな穴を穿つ。  そして、中の気体が漏れ出すよりも早く、自分の唇をそこへ押し当てた。  彼女は、凍った血液の宝石に、ふぅーっと息を吹き込み始めた。  赤いブラッドボールは、膤の吐息を孕んでふわりと膨らんだ。  それは遊園地で一番人気がありそうな、どこまでも綺麗な真紅の風船となった。  膤は洌の髪の毛を一本拝借して風船の結び目に括り付けると、その端をしっかりと握りしめた。  これで膤の最終形態(ファイナル・フォーム)は完成。  片手には、ピアス穴を通して即席の「吊り革」となった洌の耳たぶを。  もう片方の手には、無邪気な子供のように赤い風船を。  それは、この過酷な処分場にはあまりに不似合いな、しかしだからこそ最強の臨戦態勢だった。 「準備、オッケー?」  洌の問いに、膤は軽く頷いた。  洌もまた、全身のドローン結合率を安定させ、覚悟を決める。  彼は眼下を見下ろした。  かつて見上げるほど巨大だった敵、GOMI子を。