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第16話

巨人型赤ちゃんの抱き方


洌たちが臨戦態勢を整えている間、GOMI子はどうしていたのか。  結論から言えば、あの子にもチャンスはあった。  洌がドローンと融合して変身を遂げたのと同様に、GOMI子にもまた、観客という名の無数のヒューマノイドロボットがスコールのように降り注いでいたのだから。彼らを材料(マテリアル)にすれば、さらなる進化や巨大化も可能だったはずだ。  だが、GOMI子の選択は違った。  彼は天から降ってきた好機を「利用」するのではなく、「消費」することを選んだ。  最初は良かった。  脳天に降り注いだヒューマノイドたちは、献身的なドクターとして砕けた頭蓋骨を修復し、傷を癒やしてくれた。彼らは伝説の剣闘士への感謝と敬意を込めて、自らのボディをパテ代わりにして脳を守ったのだ。  しかし、治療が終わっても「観客の雨」は止まない。  降り注ぐ資源を前に、GOMI子の暴食プログラムが暴走した。  彼は、自らを癒やそうとしてくれる観客たちを、スナック感覚で口に放り込み始めたのだ。  空から降ってくる出来立てのポップコーンを、あるいは初雪を喜ぶ無邪気な子犬のように。  GOMI子はヒューマノイドロボットの群れを両手で掬っては、バクバク、ムシャムシャと貪り食った。  だが、金属製のポップコーンは決して消化の良い健康食品ではない。  許容量を超えて一気に詰め込んだ結果、GOMI子は強烈な消化不良(ストマック・エイク)を起こしてしまった。  今、洌の足元で這いずり回っているのは、腹痛に身悶える巨大な赤ん坊。  洌が10km級の巨体へと進化したことで、相対的なサイズ比率は劇的に変化している。  かつて見上げるような怪物だったGOMI子は、今の洌から見れば、ちょうど人間の大人が足元のハイハイする赤ん坊を見るような、リアルなサイズ感に縮小している。  もはや脅威ではない。  あの恐るべき「哺乳棍棒」でさえ、今のGOMI子にとっては武器ではなく、痛む腹を抱えて立ち上がるための杖(ステッキ)に成り下がっている。  脂汗を流し、棍棒に縋り付いてヨチヨチと立ち上がろうとするGOMI子。  自らの欲望に負け、暴食の果てに自滅しかけているその姿を見て、洌の中から闘争心が引いていく。  好戦的な気分にはなれない。かといって、憐れみとも違う。  強いて言うなら、それは「平和的」な義務感だった。  目の前に、泣き止まない巨大な赤ん坊がいる。  ならば、やるべきことは暴力ではない。  あやして、眠らせることだ。  あどけない赤ん坊の姿。  それがGOMI子の擬態だとしても、あるいは本質だとしても、結果として洌の戦意を根こそぎ奪い去るには十分だった。  人間の脳は、赤子の苦悶の表情に対し、本能的な不快感と保護欲求を抱くようにプログラムされている。かつて原始的な戦争において、敵兵の士気を挫くためにスピーカーで赤ん坊の泣き声を大音量で流すという心理作戦が存在したほどだ。  GOMI子は今、物理的な防御力こそ低下しているものの、心理的な防御障壁(ATフィールド)は鉄壁の強度を誇っていた。  大人サイズになった洌にとって、目の前の存在はもはや「倒すべき敵」ではなく、「保護すべき対象」として認識バグを起こさせていた。  これは、一種の強制的な武装解除。  洌は戦う代わりに、しゃがみ込んだ。  そして、腹痛に身をよじるGOMI子を、恐る恐る抱き上げた。GOMI子は抵抗しようと手足をばたつかせたが、激痛のために力が入らず、されるがままになる。  しかし、洌には経験がなかった。赤ん坊など抱いたことがない。 「ちょっと難しいね。どうやって、どんなポーズをすれば、この子を楽にしてあげられるんだろう」  洌は肩の上の妖精に助けを求めた。  膤(ユキ)もまた育児経験など皆無だが、彼女には検索機能がある。  彼女はネットワークの海から「赤ん坊の取り扱い説明書(マニュアル)」をサルベージした。  しかし、ヒットしたのは少々シニカルで、赤ん坊を親が購入した「所有物」として扱う、非倫理的で無機質な管理マニュアルだった。  『警告:本製品(乳児)の初期不良、および騒音を理由とした返品は一切受け付けておりません。オーナー(親)は自己責任において、本製品を適切な角度で保持し、液漏れ等の不具合を管理してください』  膤はその冷徹なテキストに顔をしかめつつも、必要な情報だけを抽出する。そして、洌の耳元で優しく、翻訳された手順を囁いた。 「首がまだ座ってないから、ぐらつかないように洌君の肘の内側で頭を支えてあげて。体は45度の角度を保って、もう片方の手でお尻を優しく包み込んであげるの」  膤の説明を傾聴しながら、洌のCPUに奇妙な緊張が走る。  まるで初めて我が子を抱く新米パパのような、あるいは式場での新郎のような、くすぐったい責任感とプレッシャー。  最新鋭のAIを搭載し、現実よりも高解像度のシミュレーションを脳内で何億回と繰り返せる洌であっても、実在する「重み」と「温度」を前にすると、背筋が伸びる思いだった。現実特有のレイテンシー(遅延)のない緊張感に踊らされながら、洌はぎこちなく、しかし慎重に試行錯誤(トライアル)を繰り返す。  チュートリアル終了。  洌はGOMI子を、自身の懐へと収めることに成功した。  ピタリ。  パズルのピースがハマるように、GOMI子の体が洌の腕の中に吸い付く。  その完璧な抱擁の姿勢(フォーム)は、GOMI子にとって何よりの特効薬となった。  洌の体温と鼓動が、万能薬のカプセルとなってGOMI子の喉を通り、胃の中の暴れる観客たちを鎮めていく。  先ほどまであれほど泣き叫んでいたのが嘘のように、GOMI子は喉を鳴らしてその安らぎを飲み込み、最強の心理攻撃であった涙と悲鳴を、瞬時に止ませたのだった。  GOMI子の「泣き声」という最強の心理兵器によって武装解除された洌。  だが、洌も負けてはいない。彼は「慈愛」という名のカウンター兵器で応戦した。  極寒のタイタンだからこそ、体温の温もりが骨身に染みる。洌は熟練の父親のような手捌きと懐の深さで、巨大な赤ん坊を優しく、温かく包み込んだ。  結果、今度はGOMI子が武装解除(とろけ)させられる番になる。  泣いて攻める赤ん坊と、抱いて鎮める父親。  奇妙な家族的攻防戦は、ある種の膠着状態(小康状態)へと突入する。  だが、ここは剣闘士のアリーナ。  戦いは終わっていない。  観客のボルテージは最高潮に達しており、彼らにエンターテインメントを提供し続けなければならないという強迫観念が、プロフェッショナルであるGOMI子の背中を焼いている。  GOMI子は洌の懐の中から、彼を見上げた。  その表情からは赤ん坊のあどけなさは消え失せ、興行の遅れを叱責するイベント・プロモーターのような、あるいは部下の不手際を責める上司のような厳しい目つきに変わっていた。 「おい、戦いはまだ終わっていないぞ」