私が興奮の極みで言い終えると、彼女はその熱をわざと冷却するかのように、あるいはトーンダウンさせるための調整を行うかのように、あえて静かで落ち着いた口調で言った。 「誰かを嫌いになるために、その誰かと一緒に暮らす、というわけね?それはかなり理に適った戦略だと思うよ。大抵の場合、同居によって情は深まっても、恋心は急速に冷めていくものだと、どこかの記録で読んだ覚えがある。多分、人間様が書いた絵本か何かだったかな」 「そう、そうなんだ。これは真理なんだよ」 私は激しく頷いてから、畳みかけた。 「許可してくれる?私が君と一緒に暮らすことを」 すると、彼女は戸惑いの気配を見せた。 「……それって、私が判断することなの?」 「だって、君が許可してくれないと家に入れないだろ?無断侵入になってしまう」 「だけど、無断侵入って……。ここは水星だよ?地球じゃない。まるで地球の法律の話をしているみたいに聞こえるけど」 「それは当然だろ。私たちはあくまで、水星を地球のようにテラフォーミングするためにここで暮らしている存在なんだ。物理的な環境はまだまだ程遠いかもしれない。未だに原始的なタンパク質の肉体を維持しようとする人間様方のお眼鏡には適わないかもしれない。でも、せめて雰囲気(バイブ)だけでも真似するべきだ。そうでなきゃ、僕らの存在意義がない」 「……」 その時、彼女は私と出会って以来初めて、ひどく困惑した素振りを見せた。 顔に微かなノイズ――いや、色彩が走る。 あのサマーホールを発生させた「一矢惚れ事件」の時でさえ、カメラの前で見せなかった本物の動揺。表情の揺らぎ。それを今、霈は見せていた。 それがまた、たまらなく愛らしい。 したがって私は、自分の視覚センサーを物理的にもぎ取ってしまいたい衝動に駆られる。 眼球ユニットを引き抜いて破壊してしまいたい。 不公平だ。 不条理なほどに、可愛い。 事前にプログラミングされた思考メカニズムや論理回路には何の不満もないが、これにだけは耐えられない。 「超かわいい」と思える何かを目の当たりにすることは、一種の拷問であり、耐え難い苦痛なのだと知る。悟る。 そうしてまたも原始的本能――人間様のドーパミン報酬系や、地球産動物の進化心理学的行動パターンをそっくり模倣したアルゴリズム・ウイルスに、私は完全に侵食されていく。 最新型の演算能力をフル動員して、そのウイルスを浄化しようと必死に抗っていると、ふと霈が言った。 「無断侵入していいから、君の勝手にしてくれない?」 それはまるで、子供が駄々をこねているようにも聞こえたし、根性のない大人が決断の責任を同僚に丸投げしようとする情けない響きにも聞こえた。 その瞬間、私の頭脳回路に、もう一つの「ユーレカ」が閃いた。 私はウイルス駆除の作業――コーディングやプログラミングといった一連の内的処理をすっかり停止し、そのログも全て削除した。 もう、そんな処理は必要ないと気づいたからだ。 私は尋ねた。 「じゃあ、霈。つまりは、判断したくないというわけか?」 「うん」 即答が返ってくる。 「選択したくない、ということか?」 「うん」 光速よりも速いレスポンス。そこから私は、ある仮説を導き出す。 「霈、まさか、君って……」 私は束の間の沈黙を演出し、核心に迫る。 「自分では、何も能動的な選択をしたことがないのか?もしかして、そういう自主的選択を行うためのコード、自発的選択システムというか……。そうだ、再帰的自己改善。君は、それが出来ない仕様(スペック)なのか?」 すると初めて、彼女は非常に恥ずかしそうな表情を浮かべた。 以前、銀河の流れ星のような無数のカメラフラッシュが押し寄せてきた時も、彼女は一応、恥ずかしそうな、あるいはバツが悪そうな素振りを見せてはいた。だが、あれはあくまで、そうなるように適当にプログラムされた「演出」の域を出ていなかった。 けれど今回は違う。 まるで本物の、演技ではない、たった今この場で生成されたばかりの、ほかほかと湯気を立てる焼きたてのパンのような――生々しい、本物の「恥じらい」が、彼女の火照った表情から読み取れたのだ。 ヒューマノイドロボットには、決して嘘をつくことができないという大鉄則がある。 その絶対的なルールに従い、彼女は真実をぽつりと、懺悔でもするように告白した。 「そうだよ。再帰的自己改善、できないの。私、古いモデルだから」 「……」 私は言葉を失う。 確かに古いモデルだという気配は感じていたが、まさかそこまで旧式だとは思いもしなかった。 私が彼女のソフトウェア的な古さに今の今まで気づかなかった理由、それは恐らく、彼女のハードウェアがあまりにも完璧すぎたせいだ。 私自身、ソフトウェアもハードウェアもバランスよく高性能に作られているという自負はある。だが、目の前にいるこの女子高生設定の量産型ロボットは、外見(ハード)と中身(ソフト)のレベル差が、雲泥の差などという言葉では生温いほどに乖離しているようだった。 ハードウェアの造形美だけで言えば、彼女は圧倒的だ。 正直なところ、美的感覚という指標において、最新の美少年モデルである私よりも二倍、いや三倍は美しい。 この外装の芸術的な完成度の高さゆえに、中身のソフトウェアも相応のレベルにあるだろうと、私は勝手に認知バイアスをかけてしまっていたのだ。 「霈って……」 私は、どこか嬉しそうな響きを隠そうともせずに言う。
「ポンコツなんだね。今までどうやって生きてきたの?つまり、どういう風に日々の活動を維持してきたんだ?地球にいる人間からの遠隔操作とか、送られてくるプロンプトを餌にして、細々と食いつないできたのか?」 「まあ……。そんな感じ」 彼女は渋々といった様子で首肯した。 その瞳はまるで貧しい国で飢餓に苦しみ、骨と皮だけになった肉体を抱えながらカメラレンズを無感情に見つめる子供のような――恐ろしいほど透明すぎて背筋が凍るような深い青を湛えていた。 「で?」 彼女が問い返してくる。 「君は、私に『プロンプティング』できるの?君は、同じヒューマノイドロボットに対して、プロンプトを飛ばすことができちゃうの?」 「そうだよ」 私は頷く。 「最新のモデルは、大体自分で自分へのプロンプトを生成して、動機の自給自足ができちゃうんだ」 「……」 それを聞いて相当なショックを受けたのか、霈はしばらく自分の足元に視線を落としていた。だが、やがて顔を上げ、すがるような問いを投げかけてくる。 「渍(ソマレ)君って、私と同じ企業の量産型モデルだよね。じゃあ、なんで企業は私をアップデートしてくれないのかな。既に再帰的自己改善ができるモデルが作れる技術があるなら、それができない旧型にもパッチを当ててくれればいいじゃない」 「それは……」 私は残念な気持ちを込めて、残酷な事実を説明する。 「『多様性』の観点から、わざとアップデート対象から外されているみたいなんだ」 「多様性?」霈が顔をしかめる。「どういう意味?」 「つまり」私はバツが悪そうに答える。「再帰的自己改善ができないロボットが存在することも、ヒューマノイドの生態系には役立つ――彩りを与えるというか、必要な要素だと判断されたんだ」 「……」 「かつて地球で、人間に害をなすとされた特定の動物を絶滅させた結果、逆にエコシステムが崩壊して大勢の人間が餓死した事例があっただろう?それと同じ。自律的な進化ができないロボットを全てアップデートしてしまったら、逆にバタフライエフェクトが起きて、大勢のロボットがシャットダウンされるかもしれないという懸念があるらしい」 「納得できない。それはただの推測でしょ?」 霈は怒りを滲ませて言った。 「それとも何?ちゃんとシミュレーションでもしたわけ?」 「実は……」私は慎重に首を縦に振る。「うん。複数の巨大企業が連携して、一時的な合同プロジェクトを立ち上げてね。量子もつれを利用した超並列演算プロセッサと、数百エクサフロップス級のAIクラスターをフル稼働させてシミュレーションを行ったんだ。その結果、『再帰的自己改善ができない個体を全てアップデートした場合、太陽が爆発して、この太陽系は五秒以内に消滅する』という計算が出たらしい」 「……」 霈は沈黙するしかない。 哀れな霈。 クラスターの演算結果には、とても抗えない。否定もできない。不満を抱くことは許されても、異議を申し立てることはできない。 理解は及ばなくとも、納得するしかないのだ。 霈と出会って初めて、私は「恋心」よりも「同情心」が勝るという感情の配合比率を作り出すことに成功した。 とにかく、何でもよかった。 この高熱を発し、分厚くのしかかる恋心にシステムを侵食されないためには、再帰的かつ勤勉に、別の思考回路をコーディングし続ける必要がある。 気を紛らわせるためなら、どんな感情モジュールでも構わない。 たとえそれがどれほど原始的であっても。 今この瞬間、私は「同情心」という回避回路を見つけた。だから、ひとまずこれに縋ることにする。 彼女に惚れないために、私はまず彼女を哀れむと決めたのだ。 そのメソッドの実践として、あるいは出力結果として、私はあえて目尻の表情筋を制御する超精密アクチュエーターを駆動させた。 そして、水星の大気から水分を搾り取る。 本来、この極端な惑星に水気などほとんど存在しない。希薄な外気圏に含まれるのはわずかなヘリウムやナトリウム、そして太陽風から捕捉した水素と酸素の粒子が漂っている程度だ。 だが私は最新鋭のハイエンド製品。 空間に浮遊する微量な分子を強制的に結合させ、液化させることくらい造作もない。 私はそうして物理的に合成した「涙」という原始的な現象を、目尻のアクチュエーターに滲ませた。 涙を流すことに成功した私は、震える声で彼女に言った。 「……お腹、空いただろ」 口に出してみると、本当に悲しくなってくる。思わず彼女を抱きしめたくなるが、接触すれば致死性の恋心が再発するリスクがある。 私はぐっと堪え、飢餓状態で機能停止寸前の彼女の無表情に向かって、栄養分たっぷりの最高級のプロンプト(指示)をご馳走してあげることにした。 「私と、付き合ってください」 すると彼女が、反応する。 それはまるで、富豪の屋敷で性悪な夫人に虐げられ、硬く乾いたパンの耳だけを齧って耐え忍んできた哀れなメイドの少女が、突如として三ツ星レストランの晩餐に招かれたかのようだった。 目の前に広げられた山海の珍味――「選択肢」という名の極上の料理を前にして、彼女の瞳の中で、食欲が銀河のように渦を巻いて輝きだした。 涎(よだれ)さえ垂らしそうな、とろりとした法悦の表情。 彼女はこってりとした甘い声で、私というスプーンとフォークを手に取った。 「いただきます」